徳舛瓦店 甍技塾 瓦葺きの魅力

瓦葺きの魅力

屋根と屋根材 ROOF & ROOFING 2004新春号 屋根と屋根材 ROOF & ROOFING
2004 新春号 掲載 / 2004年1月15日発行

建築・設計と屋根を結ぶ情報誌「屋根と屋根材 ROOF & ROOFING」(日本屋根経済新聞社 年4回発刊)に掲載している「瓦葺きの魅力」をご紹介します。

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鞠智城・鼓楼

鞠智城・鼓楼 【鞠智城・鼓楼】
鞠智城鼓楼(きくちじょうころう)は、鞠智城跡に発掘された、八角形の掘立柱式の遺稿をもとに、六国史(日本文徳天皇実録・日本三代実録)の中に「鞠智城の太鼓が独りでに鳴った」という記述があることから、太鼓を置く八角三層の建物として復元されました。主要材に檜、部材に杉を使用し、発掘された瓦を元にして、地元で復元された素焼きの瓦を使うなど、古代技法を再現しながら再建されています。この屋根の見どころは、丸瓦の形状、軒瓦の納め方、巴瓦の文様と形状、隅棟の納まり、雨水の取り方などです。広い敷地内に雄大に建つ姿は、古代ロマンを彷彿させる幻想的なたたずまいを見せています。



丸瓦の形状
丸瓦の形状の違い
鞠智城鼓楼の丸瓦は、段がつくように重なって葺かれていく、行基丸(ぎょうぎまる)瓦(写真1)を採用しています。尻側に玉縁(たまぶち)(玉口)がなく、胴体がラッパ型のように造られていて、現在使われている素丸瓦(写真2)とは、違うおもむきがあります。この両方の丸瓦は、日本に瓦が伝わった当初から造られていました。しかし、やがてごつごつとして見える行基丸瓦よりも、洗練された感じの素丸瓦の方が主流をしめるようになっていきます。日本人の美的感覚がそうさせたと言えるでしょう。 行基丸瓦
素丸瓦の例
  半行基丸瓦の出来るしくみ 半行基丸瓦の例また、素丸瓦も、平安末期頃までのものは、頭側よりも尻側の方が、若干太く造られています。これは丸瓦を造る工程で、型から抜く時に、型の太さが上下同寸法であると、型抜きが困難であるため、尻側を太く造って抜きやすくしたためです。そのため葺き上がりを下から見た場合には、少し段差が見えることになります。この形状にこしらえている丸瓦を、半行基丸瓦(図b・写真3)と呼んで区別しています。


軒瓦の納め方
軒先 平瓦二重納めと巴瓦の形状・重弧文軒平瓦鞠智城鼓楼では、平瓦の軒先に唐瓦を用いず、高さ調節のため平瓦を2枚重ねて葺いています(写真4)。これは、全国的に発掘された平瓦の中には、裏側に瓦座を塗装した時についたと思われる、朱の塗料の付着したものが多数あり、当時は平瓦を二枚重ねにして瓦座にのせていたものと思われるからです。巴瓦の瓦当(がとう)は二片出土したのですが、残念ながら唐草瓦は鞠智城跡からは出てきませんでした。後の時代に出現する唐草瓦の文様にある重弧文(じょうこもん)写真5)は、この形が原形となっていたと思われています。唐草瓦の日本で最古のものは、法隆寺の創建伽藍跡から出土しています。

巴瓦の文様と形状
円瓦の文様 素弁蓮華文 複弁蓮華文鞠智城鼓楼の巴瓦文様は、中央に7個の蓮子(れんじ)と、その回りに8葉の花弁を表現した素弁蓮華文(そべんれんげもん)を採用しています。(写真6)。後の時代に出てくる複弁蓮華文(写真7)と比べると長い花弁と小さな中房(ちゅうぼう)からなる単純素朴なものでした。蓮華文は、仏教のシンボルである蓮華を表しており、瓦が渡来した飛鳥時代から主流を占めていました。巴文や梵治字、いろいろな家紋などが現れるのは、平安時代の後半になってからのことです。
また、この巴瓦は瓦当の取り付け方がとてもめずらしく、行基丸瓦の頭から瓦当を、少し奥へ引っ込めて取り付けられています。(写真4


唐草と巴の名前の由来
平瓦と丸瓦のそれぞれの軒先に使用する瓦を、唐草瓦・巴瓦と呼んでいます。両方ともにいろいろな文様が造られ、屋根を飾りながら、表情にリズムとインパクトを与えています。天平時代には、唐草瓦を宇瓦(うがわら)、巴瓦を鐙瓦(あぶみがわら)と呼んでいました。時代を下って江戸時代初期の文献に、初めて唐草瓦には、飛鳥時代から唐草文が、巴瓦には平安時代から巴文が、数多く使用されてきたためだと考えられています。


隅棟の納まり
図C 隅棟断面図
鞠智城弧楼の隅棟は、台熨斗瓦を1段積み、鬼際に捨て熨斗瓦(のしがわら)を2段入れ、その上に割熨斗瓦を2段積んでいます。(図C・写真8)また冠瓦(がんぶりがわら)は、行基丸瓦をそのまま使用し、その端先(はなさき)には巴瓦を使って納めています。(写真9)。この鬼瓦の上の巴瓦はのちに鳥衾瓦(とりぶすまがわら)写真10)として発達していくことになります。
図C 隅棟断面図 図C 隅棟断面図

隅棟の納まり

隅鬼瓦上の巴瓦の納まり 鳥衾瓦の例
熨斗瓦の形状の違い熨斗瓦の形状も現在のものとは違って、表面がノサ状になっていません。これは、平瓦を半分に割って、熨斗瓦として使ったことをそう呈しているからです。 当時の平瓦の製造方法は、桶巻き4枚造りであったため 、その製法から平瓦の側面の仕上げ方が、(図D)の様になるからです。


三層と二層の雨水の処理
重層になった屋根では、桶をつけない場合、上層屋根の雨水が、下の屋根に落ちた時に雨漏りを起こします。このような場合では、雨受け瓦(写真11)を施行するのが通例ですが、鞠智城鼓楼では雨受け瓦を用いず、平瓦の下に銅版を敷き、雨水が浸入しても軒先の瓦の上からでてくる様に施工しています。(写真12)。縦桟葺き工法のため。銅板をその間へ容易に通すことができます。
雨受け瓦の施行例 平瓦の下の銅版仕舞い

鞠智城跡
鞠智城跡は、熊本県北部に広がる菊池平野の北端部に位置する、7世紀後半に大和朝廷が築いた古代山城の一つです。古代山城は、大化の改新(645)や大津京遷都(667)など、日本古代史上で最も激動の時代といわれる7世紀代に大和政権によって、九州や瀬戸内海沿岸、大和地方に築かれた国防上の重要拠点です。鞠智城は正史「続日本紀」の文武天皇2年(698)に最初の記録がありながら、永らくその存在が不明でした。昭和に入りようやくその位置が確認され、現在は歴史公園として整備されています。



参考文献: 和瓦のはなし , 山田幸一 : 監修 , 藤原勉 ・ 渡辺宏 : 著
歴史発掘11 瓦を読む、上原真人 : 著  
瓦製造・施工 / 熊本県宇士市 上村瓦工場
瓦施工 / 甍技塾徳舛瓦店 有限会社



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